どうして見たんだろうか?
親戚の家では、京都伏見のお稲荷さんを祭っている。
その影響があったのかもしれないと、今は思っている。
動物霊が、その化身を見せたのかもしれないと思っているが、定かではない。
しかし現実に私の目は見た。
誰が何を言おうと、これは見た者しか判らないから、言い訳はしない。
最近の学者だと、この様な話に対して、どの様な反射を示すんだろう?
「過去の経験が、知識となって、夢に現れたんではないでしょうか?」と、説明されるのではないでしょうか?
確かにそれまでに、お岩さんに対してよいイメージはありません。
しかしそれは映画の中での恐怖でしかありませんから、知識としては残るのですが、同じ場面でないということです。
しかし知識として残っているにせよ、どうして夢を説明できないのに、夢の中に現れたのでしょう?という返事が出来るのでしょうか?
夢という現実を、全く架空のものとしてしか理解できない人に、夢の定義が出来るわけはないからです。
夢は夢ではなく、現実の世界だということが判れば、夢をコントロールする事も可能だということです。
マインドコントロールの世界は、まさしくこの現実を言い表した事です。
すでに意識が現実を生み出すという現象を、証明している世界なのです。
ということは、
夢は現実であり、この現実はその夢を形に表す事が出来る夢であると、逆説的にいえるのです。
その様に判断できれば、夢をおろそかにしないで、自分の世界だと思って、心温まる夢を常に創り続けて欲しいと思います。
そうする事で、恨んだり嫉んだり、殺めたりするような、心冷たい世界を創る事はできなくなります。
まずそれから世界の平和が始まるのではないかと思います。